岡井ちゃんと私
岡井千聖ちゃん23歳のお誕生日おめでとうございます!!
6月21日。
岡井ちゃんのファンになってから毎年どんどん増えていく岡井ちゃんとの思い出にポワワァ…と浸りながら、岡井ちゃんにとって、そして℃-uteにとってまた素敵な1年になりますように、また楽しい思い出をつくっていけますようにと願ってきました。
2017年6月12日から1週間。
まだなんだか実感のわかないままではありますが、
今日は「元」℃-uteの岡井千聖ちゃんが産まれた日なんだと思うとあぁ、一人一人がもう前進しているんだなぁと思います。
こちらのページは「岡井ちゃんのファン」の「私」という内容なので、
岡井ちゃんの活動を時系列で説明したり岡井ちゃんの素晴らしさを上手く書いているわけではありません。
おかれなちゃんという私を知らない人が見ても「へぇ…」としか思えないただの日記です。
あと無駄に長い。
簡単に簡単に私のハロ歴を書くと、
なのですが、「可愛い」と思っているだけの在宅からのステップアップは岡井ちゃんでした。
小さい頃から「可愛い女の子」というのが好きで、でもどちらかというとグラビアやモデルさんを見るのが好きでした。
中学生の時ゆうこりんの写真集を父に買ってもらったり、モデルさんのスタイルブックをお小遣いで買ったり。
高校生になると浜田翔子ちゃんや安田美沙子ちゃんが好きになり今はなきsaburaなどグラビア目当てで雑誌を買っていました。
おっぱいもおしりもふともももすき…
ハロは好きだったけど、「亀井絵里ちゃんの画像ください」「ももちの画像ください」と画像交換掲示板に入り浸り画像を集める程度でした。
℃-uteを知ったのもきらりんレボリューションが好きだったから主題歌の大もてで。
「可愛い」「綺麗」な子が好きで、当時の岡井ちゃんの少年感には全く惹かれなかったのが事実。
(今書いてて心苦しい)
田舎に住んでいたのもあり、ハロが出ている番組を見る機会もあまりなく高校卒業と同時に上京。
ハロプロちょう可愛い〜コンサート行ってみたい〜さゆ〜えりりーん愛理ちゃん可愛い〜
みたいな緩いミーハー女のまま。
それが数年続き、私も私生活がなんやかんや忙しくハロプロのコンサートに行こうとは思ってませんでした。
でも当時、スマをテレビで見た浅い浅いファンの私は「スマイレージくるな。アイドル界はスマイレージが天下とるわ…」とわかったような事を考えていたのは覚えている。
あとえりりんやえりかちゃんの卒業で浅い浅いファンのくせに「ハロプロやばいじゃん、、どうすんの、、、」とか言ってました。ごめんなさい。
岡井ちゃんというか℃-uteが気になり始めたほんっとの最初のキッカケは「踊ってみた」かなぁ?
踊ってみたキッカケの方多いですよね。
その時は「お、お、おかいちゃんがめっちゃ可愛くなっとるやんけ!!!!!」という驚き。
そして偶然にもその時、ハロ好きのお友達と「初ハロコン」を計画していたのです。
私のハロ現場デビューは年明け2010年の新春ハロコンでした。
ある程度予習をしていったものの、
生で見るハロメンは可愛すぎて可愛すぎて、やばい可愛い。可愛い。可愛い。しか言葉を発せられないほどの衝撃でした。
(ちなみにピンクを振っていた)
愛理ちゃんのMemory青春の光を聴いて、℃-uteのKiss meを聴いて、
「℃-uteのコンサートに行きたい!」
と思い超!超ワンダフルツアーのチケットを取りました。
そのハロコンから私のハロの猛勉強というか、動画を漁る日々が始まりました。
(すみません今はDVDとか買ってます動画とか簡単に見てますとか言ってすみません)
でもやっぱりやっぱりやっぱり気になっちゃうのは岡井ちゃんで…
色んな可愛いメンバーを見つつも結局1日の終わりには岡井ちゃんばかり見ていることに気付き、
「こ、これが推しメンというやつか…!!」
なんというか今、「あれ?このお話終わりが見えないゾ?」という気持ちで書いています。
岡井ちゃんの魅力って、最初は「ボーイッシュな女の子が髪を伸ばして16歳という女の子のキラッキラな時期で凄まじく可愛さが増した」その成長というか変化に感じていました。
私が抱いていた岡井ちゃんのイメージががらっと変わって、とにかくお顔が、見た目が、ド好み!!!フゥゥゥ〜♪
という感じで。
でも知れば知るほど見た目の可愛さだけではなく、おっきな声で笑うところや破天荒なことをしちゃうところ、失敗してもただただ愛おしくて周りをハッピーにしちゃうところ、
飾らない岡井ちゃんらしさがあって素直なところ、
まるっと全部愛おしさの塊なところ!
そんな人柄に惹かれていきました。
見た目だけではなくもっと岡井ちゃんを知りたいって思って、これからまたどんな魅力が増していくのか追ってみたいと思って、今に至ります。
初単独コンサートも凄く楽しくて可愛くてかっこよくてまた行きたい!と思い、そこから私の「現場」が始まりました。
℃-uteの現場に行くにあたり、自分の中でルールを決めていました。
*遠征はしない
*行ける時は行く 行けない時は仕方ない
ざっくりだとこの2つです。
現場に行き始めた頃は販売の仕事を始めたばかりで、忙しかったり単純に他にも趣味がありました。
自分に見合った活動をしようと思ったら、販売の仕事で自爆営業をしていたり(恥ずかしながら後に店長になった事もあり売り上げが悪いと馬鹿みたいに自分で買っていたし売り上げ目標まであと一歩ならATMに走ったりしていた…)
趣味の漫画やアニメに使ったり単純に服やお化粧品を買いたかったりと収入に余裕があるわけではないし、のめり込みすぎないようにしようと思っていたのもありました。
でもそんなルールを決めてゆるく現場に行っていたけど好きは増す一方で、
現場に行けばお話して下さる方ができたり現場後に飲みに誘って下さったりと更に楽しくなっていって気付けば「℃-uteの現場」が第一の趣味の場になっていました。
更に仕事や日常で辛いことや落ち込む事があると、手帳に記入した℃-uteに会える日を見ては「この日まで頑張ろう」と自分を励ますほどの楽しみになっていました。
いつも手帳見てたなぁ。
ハロも握手会をするようになり、
最初に握手券を手にしたのはベリ℃のCD発売記念握手会で熊井ちゃんでした。
握手券を交換するとか当時全く頭になく、ただただ綺麗や〜と思いながら熊井ちゃんと握手をし、待機中のメンバーが見えたりして物凄く興奮したのを覚えています。
岡井ちゃんとの念願の初握手はモベキマスのよみうりランドでのイベント。
(雨降ったやつ。)
鼻息を荒くしながら
「岡井ちゃん推しですッおかっ岡井ちゃんを推すために産まれてきたようなもんですッ」
と自分でもよくわからないことを伝えました。
次に握手をするまあさちゃんが「…。」という表情で(気持ち悪くてすみません…)と思いました。
岡井ちゃんは「本当ですかっ」って元気に言ってくれて、お顔がちっっさくて、でもその小さいお顔に可愛さが詰め込まれていて、
コンサートで見るのとはまた全然違う距離に「やばい、やばいぞ、可愛すぎてどうしよう…どうしよう…お母さん…」
と涙が出たのを覚えています。
岡井ちゃんとの握手は、
「コンサートで見ている岡井ちゃん」
とはまた違って、これまた魅力的でした。
とってもファンに寄り添ってくれていたなぁと思います。
ハイテンションでいけばハイテンションで返してくれて、
真剣に話せば真剣に返してくれて。
合わせてくれていたのかつられてなのかはわからないけど。笑
でもいつもいつも、すっごく優しかったです。
でも握手は悩みの種でもありました。
目の前に世界一可愛い女の子がいるんです。
上手く話せないし、何を話せばいいのかわからなくなるくらい心臓がドキドキドキドキドキドキドキドキして。
Twitterで流れてくるいわゆる握手レポを見るたびに、
「なんでこんなスムーズに話せるんだ…この人はなんなんだ…凄い…わあああこりゃ岡井ちゃんも返しやすい質問だ…アッこれ私も言えば良かった…ヒイッなんて楽しそうなんだ…」
と楽しみつつも自分というやつは…
世界一可愛いとはいえ年下の女の子に気を遣わせてしまってばかりでいつも可愛いしか言えていないぞ…
と落ち込む事もありました。
最初は十数枚持って回っていたものの、
私の空周り握手に反省するばかりで、なんだか申し訳なくて、
でも行くたびに可愛い岡井ちゃんが見れて優しくて嬉しくて、
周りのように楽しく握手をしたくて、困らせたくなくて、ぐるぐる考えていた結果。
「岡井ちゃんと仲良くなりたいんだ。」
年下の女の子に情けない顔をして、素直に伝えました。笑
でも岡井ちゃんから返ってきた言葉は、
「もう仲良しだよ!!」
でした。
その時、ぶわあああああああああと涙が出てコソコソ泣きました。笑
まさかの返答で、こんな気持ち悪くてデブスなババアになんてお優しいお言葉を返してくれるのでしょうか…と帰り道ありがたや〜ありがたや〜と胸がいっぱいになったのを覚えています。
岡井ちゃん…ありがとう…
そこからは握手でグルグルするのは止めて、チェキ会での一回を思いっきり楽しもうとか、握手もいつも感謝しております…世界一可愛いです…っていう気持ちが伝われば良いと思い少しリラックスして挑めるようになりました。
毎回自分勝手に色んな話をしたけど、
岡井ちゃんはいつも優しかったなぁ。
今思えば結婚したよとか妊娠したよとか本当自己満足な事たくさん言ったって思うけど。笑
そんな岡井ちゃんがどんどん好きになっていってしまって。
こんなに好き好き言っているけど、ファンになってから行けていない現場の方が断然多いと思います。
やっぱり数多く行ったり、売り上げに貢献するのが支えているファンだと思う部分があるので何にも威張れるものはありませんが。
単独コンサート、ハロコン、舞台、BDイベント、結成日、℃-uteの日、FCイベント…
振り返ると出不精でお家でアニメ見てるのがいっちばーん!な私がよく色々と出掛けたものだ。
バスツアーも楽しかったなぁ。
(絶対一生忘れないであろう楽しさだった…)
オープニングやエンディングでたくさんの可愛い女の子たちが並ぶ中、目移りもせず岡井ちゃんだけを見ている!っていうのが好きでした。笑
みんな可愛い。
でも岡井ちゃんが一番可愛いー!!!って心の中で叫びながらずっと見ていたなぁ。
岡井ちゃんと言えばでやはり欠かせないのが
「歌」だと思います。
どんどん好きになっていった過程でやはり外せないもの。
岡井ちゃん自身が歌に重きを置くようになっていったのがファンとしてもよくわかりました。
岡井ちゃんの歌声(語彙力がない上にみんなわかってるでしょあの良さ、みたいなところで省くけど…)に何度も心が震えていたし、盛り上がる場面でもバラードの雰囲気にもいつもガッチリぴったりハマるのが物凄く気持ち良くて。
ずっとずっと歌い続けて欲しいなぁと思っていた矢先の喉の手術…は心配過ぎてTwitterには書いていなかったけど近所の神社に「岡井ちゃんの手術が大成功しますように…」とお祈りに行きました(気持ち悪いなわたしと思って誰にも言っていない)
なんの神社かもわからずソワソワしてとにかく行っちゃったとっくに成人済みのアラサーやばい。
でもどこか、ずっと歌い続けてくれる。
℃-uteはこれからもずっと活動を続けてくれる。
大人になっても大人の魅力で、
もし誰かが結婚しても…なんて自分の願望だけで未来に期待していて。
℃-uteの解散という決断には全く心がついていきませんでした。
2016年の春に私の妊娠が発覚し、「これからちょっとヲタクは産休だわ〜」なんて思いながらもサイン会に行き岡井ちゃんに「赤ちゃんできたんだ!」と言った時、
岡井ちゃんは「おめでとう!千聖抱っこする!」っていつものように優しく言ってくれて。
今思い返せばもう解散は決まっていたのだなと思うとなんとも言えない気持ちなるのだけども。
どんどんお腹が大きくなる中で突然夜中に「℃-ute解散」のニュースが目に入り、
頭が真っ白になる中でも最初にしたことは
「妊娠中 コンサート いつまで」
「出産後 外出 預ける いつから」
などというネット検索…。
酷い母親だなと思うけどそこから朝まで一睡も出来ず、泣きながら調べていました。
発表の次の日、ハロコンに行きファミ席で解散を発表する℃-uteを見ながらまた泣きました。
「何で今なの?何で来年の6月なの?」
考えることは自分の出産と解散が重なった事への、周りはそんなん知らねーよっていう自分の事情の事。
「解散までの現場を大切に出来るだけ行こう!℃-uteと一緒にゴールを目指そう!」
それが出来ない事への悲しさ。
℃-uteの日とちさあいイベントに行った後、里帰り出産の予定だったので東北へ帰郷しました。
現場でのレポを見て行けない悔しさがありつつも、新曲のMVを見たり田んぼ道を散歩しながら℃-uteの歌を熱唱したり、
なんだかんだしていたら赤ちゃんが産まれました。(軽い)
産後、育児は想像を絶するものでした。
身体がボッロボロの中一日中泣き止まない赤ちゃんを抱っこしていると、
「あと10分泣き止まなかったら1人で逃げよう」
「このまま赤ちゃんを置いて知らないふりして寝たい」
なかなか眠れないのもありどんどんマタニティーブルーなり、
人生初の食欲不振になりました。笑
正直出産したら℃-uteどころじゃなくなるんだろうなぁ、このまま離れるのかな、解散まで何も出来ないのかなぁと思っていました。
でも、気付いたらブログだけはぼーっと読んでいました。
少しでも寝なくちゃと思いつつ、現実逃避なのかもしれないけど、
「ふふふ…まいちゃん…あらら…なっきぃ…」
と、世界で息子と二人きりになったような気持ちで閉じ込められていた状況の中、℃-uteの活動をブログで読むと「時間が過ぎていっている」「明日がやってくる」と辛い気持ちのまま時間が止まっているわけではないんだと思えるようになりました。
〜ありがとう℃-uteちゃん〜
1ヶ月を過ぎると少し余裕ができ、2ヶ月を過ぎるとライブ行きたいなぁと思うようになり、
3ヶ月を過ぎると「やばい!!いつまでお母さんに甘えてるんや!!里帰り長すぎだろ!!」
と焦り東京に戻る事にしました。笑
戻ったものの私には命に代えてでも守るべき
息子がいて、現実復帰などまだまだまだ考えられない生活でした。
好きになってから行けなかったツアーが2つも…ああ…℃-uteに…岡井ちゃんに…会いたいよおおおおお
と、思い続け最初に行けたのはシリアルイベント。
大好きなヲタクたちを見たらもう泣きそうで、℃-uteが登場したら私はどうなるのだろう?とバクバクしていたけど、
音楽が流れて緑を振って、℃-uteが登場したら「いつもの現場」が自然と戻ってきて。
久しぶりなのにその場にいる事が何にも違和感がなくて。
やっぱりやっぱり℃-uteが大好きで。
わしは…帰って来た…
とやはり泣きました。
楽しかったなぁ。
℃-uteは、岡井ちゃんはやっぱり可愛くて、かっこよくて「何で解散するのよ…」と何度も思ってしまって。
でも実感のないまま、毎日は過ぎていって。
旦那さんにお願いしまくって行ける事になったディナーショーとさいたまスーパーアリーナ。
(旦那さんと結婚する時、結婚しても土日は家にいない事があります!!!大切な女の子がいます!!!
と熱弁した際、旦那さんと出会う前からのファンなのでわかってくれました。笑)
ディナーショーでは、CDは聴いていたものの初めて生で聴く新曲やおめかし℃-uteちゃんの可愛さや目の前を通って歌ってくれたり生演奏の豪華さも素敵過ぎてやはり号泣し、
一生この五人を見ていたいという気持ちと、
でも明らかに解散というゴールに向かって更に一丸となっている前を向く姿があまりにもかっこよくて清々しいなと思う気持ちが交差していました。
帰って息子に「ママ…どうして良いかわかんねェ…」と相談しました。(生後半年)
でもSSA当日は、
嫌だ嫌だという気持ちもあったけど、ここ1年を振り返ったら自分自身が大きく動いた1年でもあったので、
「ようやくここまで来たんだなぁ」
「℃-uteちゃんさいたまスーパーアリーナ、おめでとう」
っていう想いでしっかり受け止められました。
最後は最高に最高なライブで、楽しくて熱くてとびっきりのパフォーマンスで。
見渡すと圧巻の景色で、やっぱり泣いたけど、ありがとうという気持ちでいっぱいで終われました。
帰りにうどん食べました。
夜中に食べるの久しぶり過ぎてめっちゃ体重増えた。
なんだか長々書いているわりに終わりが見えないんですが、
やはり岡井千聖ちゃんを好きな中で
「℃-ute」があるわけです。
たくさんの思い出があるけどそれは、
℃-uteの活動の中で岡井ちゃんを好きになり、見ていたくて、メンバー同士のやりとりがたまらなく愛おしかったり、
℃-uteメンバー1人1人を本当に本当に大好きになりました。
みんながそれぞれの道で頑張っていく事を決めて。
最初はそんなみんなの勇気ある決断を受け入れられなくて、置いていかれるような気がして悲しかった。
でも解散が近づく中で、
岡井ちゃんが過去にBDバスツアーをやってくれた時に言ってくれた言葉を思い出しました。
「なんか、みんな一緒に年とってくね〜〜〜!」
岡井ちゃんは覚えていないかもしれないけど、
私はその言葉が凄く嬉しくて覚えています。
岡井ちゃんにはたくさんのファンがいるけど、若くて可愛い子もたくさんいて、どこかで「こんなおばさんがニヤニヤとずっとファンですまんな…」という思いがありました。
でも岡井ちゃんを好きになった時岡井ちゃんは16歳。(だったと思うんだけども)
そんな岡井ちゃんが2017年23歳ですって!!!!!
そりゃわたしも年とるわよー!(わよーわよーわよーわよー…)
ファンで、活動していく中で一緒に来る年来る年重ねていくねって。
私もその間で入籍して結婚式して旅行いって赤ちゃん産んで、、、
時は進んでいて、
℃-uteが新たな決断をするのはごく自然な事。
昔やりたい事がたくさんあった自分と比べて、こんなに長い間ハロプロで頑張ってくれて、色んな姿や成長をたくさんの人に見せてくれたのは本当にとんでもない、、とんでもない事だ!!!
ありがたや…うぅぅ
こんなに好きにさせてなによ!
置いてかないでよ!
ってのは違って、「一緒に歳とってこうね!」
でまるっと解釈しました。(脳天気)
team℃-uteっていうファンの名前も最初はなんだか恥ずかしかったけど、
今や「わいですけど?はいはい何すか?」くらいに自然になったし、
これからも℃-uteが愛してくれたteam℃-uteとしてメンバー1人1人の幸せな未来を陰ながら祈っていたいと思います。
個人の活動が始まって初めての誕生日。
新たなスタートにまたファンとしてついていきたいなあって思っています。
岡井ちゃんに、℃-uteに出会えて心の底から幸せを感じています。
私こんなにしつこく好きになれるんだぁと自分でもびっくりでございます。
引きこもりの二次ヲタを現場に通わせてくれてありがとう。
岡井ちゃんお誕生日おめでとう。
素敵な素敵な素敵な1年になりますように!